サウナ行ったら超マインドフルネスな状態を体験したお話
サウナ、最近流行ってますよね。
私も先月の頭にサウナの紹介動画を見て「これはすごそう」と思い、サウナ関連書籍を買いあさって1ヶ月間毎日サウナに通うことにしました。
初回のサウナから完全にキマッてサウナやべー!ってなったんですが、3日目終わった後にどうも様子がおかしい。
自分でもあまりにも衝撃すぎたので、この感覚を記事に残したいと思います。
サウナとととのう
サウナ界隈では、サウナに入ると「ととのう」って言われてるんですよ。
この「ととのう」がなにかというと、
- 合法トリップ
- 地球とセックスしてる感じ
- 多幸感
- 宙に浮くような感じ
- 自分と世界の境界がなくなる感じ
みたいにちょっと過激な表現で伝えられてます。
医学的には交感神経と副交感神経がどちらも活発になっている状態など言われていますが、まだあまり研究は進んでいないようです。
ととのう≒マインドフルネス
個人的にはととのうは瞑想界隈で言われる「マインドフルネスな状態」だと思っています。
厳密に言えばもっと複雑に色々なことが起こってるけど、その中の1つとして「マインドフルネス状態になる」という効果があるイメージです。
マインドフルネス状態は、今この瞬間に意識を向け気づくことです。
moment to moment, non-judgemental awareness
ジョン・カバットジン
たとえば考えごとしてたり、携帯見ながら歩いてるときなどは、意識が周囲に向いてませんよね。
マインドフルネスな状態だと、「足を動かしてる感覚」「服と身体が触れ合う感覚」「車が通った音」などが意識にあがるようになります。
「マインドフルネスな状態」が何日間も続いた!
結論から言うと、この「マインドフルネスな状態」の状態が何日間も続いたんです!
しかもとてつもなく強烈に。
そして超マインドフルネスな状態だと、単に「研ぎ澄まされてる」だけじゃなくて、性格や人生観までも変わるんです!!
超マインドフルネスな状態
動きが繊細になった
まず家に帰るまでに気づいたんですが、明らかに自分の動きが違う。
たとえば今までは、わしゃっと衣類を掴んで無意識に別のこと考えながら服をきるみたいな感じでした。
しかし「衣類に目を配る」「シワが目に入るのでゆっくりシワを伸ばし、ホコリを払う」「ポケットに入ってる携帯を取り出し、籠の中に入れる」「ゆっくり足を入れ、ズボンをはく」のように1個1個の動作が意識にあがるんですよ。
家の鍵を開けるときも、「ポケットに手を突っ込む」「鍵を取り出す」「鍵穴に入れる」「回す」「開く」の一連の動作を、ゆっくり繊細に、意識にあげながら行う感じになりました。
しかも全てが太極拳のように、ゆっくりした動きに自然となりました。
周囲の音に繊細になった
また、家に帰る途中のあらゆる音が耳に入ります。
- 自転車が後ろで止まり「キーっ、キュッ!」となる。
- 靴が擦れる音
- 風で草木が揺れる音
この感覚、なんか子供の頃の感覚をちょっと思い出しました。
またうるさい音にも敏感になるので、特に男性の立てる無神経で粗暴な音には不快感を覚えるようになりました。
人の気配りに気づくようになった
銭湯から出ると、靴をはくところに椅子が置いてありました。
こんな感覚を覚えました。
文章に書くとあまりすごさがないんですが、なんというか「気配りがありがたい」という感覚が身体感覚を伴って感じました。
今までは無意識に行動しすぎていて、あまり意識できていなかったのかもしれません。
家の大掃除をした
家に帰ってから、目の前にわーっと色々な光景が目に入ります。
- 地面に落ちてる髪の毛
- 鏡にある曇り
- 足の裏につくホコリの感覚
そして今まではやらなきゃって感じだったんですが、自然と身体が動いて家の大掃除を始めてました。
初めて掃除したいからする、初めての感覚です。
この体験を経て、
- 身体は綺麗な状態を求めてる
- 身体感覚に敏感な人は、汚い状態が目に入りやすい
- 身体感覚に敏感な人は、自然と掃除する
これに気づいたとき、今まで自分の部屋に来て汚いなーと感じた人もいたんだろうとちょっと恥ずかしくなりました。
家具屋に行った
今までは家に求めるのは機能で、あまりものを買わずに機能さえあれば良いんじゃないというスタンスでした。
しかしこの超ミニマリスト期間はなんども家具屋に足を運ぶことになります。
行きたくて行くのは人生初かもしれない。
そしてこれに触れると気持ち良いから買うという初めての経験をしました。
たとえばふわふわのタオルとか、木製の食器とか、座り心地の良い椅子とか。
機能じゃなくて、身体感覚にお金をかけてる感じです。
病院に行った
今までは明らかな不調になってから病院に行っていたのですが、予防的な意味も込めて色々な病院に行きました。
実際に病気が発見できたケースもあったので、身体感覚に敏感なって、軽いアラートの段階から気づけたのかもしれません。
より健康に、自分の身体を大切にしていこうと思うようになりました。
やらなくちゃいけないことを全てやった
粗大ゴミやパスポートの更新、懸賞の応募など、やろうと思っていてやってなかったことがあったんですが、それ全て最短でやりました。
家帰ってから全ての書類を整理して、今できることはその時やって、次の日の朝早く起きて役所にいく、という感じです。
無理してやってるんじゃなくて、無心で自然と
ゲームをしなくなった
今やってるソシャゲが2つあって、惰性的に毎日のデイリークエストをこなしていました。
しかしこの超マインドフルネス期間中は、ゲームしてる暇あったら掃除したいと思うようになってました。
身体にとって何も嬉しくない無意味なことに時間を使ってる感覚です。
今まで気をつけないと何時間もゲームしちゃってたので、この変化には自分でもびっくりしました。
プログラミングの仕事に集中できなくなった
これに関しては直接の原因があるかはわかりませんが、あまりプログラミングの仕事に集中できなくなりました。
身体感覚を無視して思考の世界にダイブする狂気的な集中が必要な世界のため、身体感覚が敏感なマインドフルな状態とは相性が良くないのかもしれません。
安定した人生を送りたいと思うようになった
この期間中に人生について考えたとき、「今働いてる企業の正社員になって、安定した人生を送ろうかな」と思いました。
はっきり行って完全に今までと180度別の考え方です。
私は今、フリーランスとして、国や会社に縛られず、自由に行きたいと思っています。
しかしはっきりと、「安定した人生を送ったほうが良いんじゃないか」と感じていました。
充実した人生を送りたいと思うようになった
今もブログ記事を書いてますし、プログラマーですし、私の人生は黙々と作業をすることが多いです。
苦じゃありませんでしたし、私自身そういう人生を送りたいと思って今のような道に進んできたこともあります。
しかし超マインドフルネス期間では、
- 休日は習い事する
- バイクの免許を取る
- 友人とバーベキューする
など、いわゆる充実した生活を送りたいと感じるようになってました。
そしてその延長線上としての、正社員としての安定した人生があるのだと思います。
これは自分の人生観を覆す、衝撃的な体験でした。
数日で消えて無くなった
と、こんな感覚があって「自分ものすごい人格者になったんじゃないか」「今の性格すごいモテそう」とか思ったものですが、過去形で書いている通り数日間で元に戻ってしまいました。
その後も同じ感覚を覚えるためになんどもサウナに通い色々試してみましたが、この時ほどの強烈な体験にはまだ出会えてません。
とはいえ当時の感覚や経験は残っているため、それだけでも大きな前進になった経験だと振り返っています。
今までは身体感覚を無視していた
この経験を経て感じたことは、
- 今までは身体感覚をすごく無視していた
- 身体感覚すごく大事
ということです。
人格者は意志力ではない
そして正解はわかってもできない行動をする人に対して「すごい意志力高いんだな」と思ったこともありました。
たとえば定期的な掃除もそうですし、人格者の著書にあるような「お札を揃えて入れる」のような細かい所作まで含めてです。
でもそれって、身体感覚に敏感になれば自然と行えることで、習慣化の力や意志力は関係ないんだとわかりました。
逆説的にいえば身体感覚に敏感な人はそれだけで人格的にある程度優れていることが担保できることが言えます。
たとえば面接で服装の細かい乱れがある人を落とすっていうのも、あながち的外れではないかもしれません。
(もちろん私のようなプログラマーは優秀さと身体感覚とは別軸にある職ですし、全ての仕事に当てはまるわけではありません。)
女性的感覚は身体感覚
あと超マインドフルな状態って、すごく女性的だなと思ったんですよ。
あまり一般化は良くないですが、よく女性が不快に感じるところで不快になり、女性が好むことをするようになる印象を受けました。
これを踏まえると、女性は身体感覚に敏感なんだなと自分の感覚として感じるようになりました。
相手の感覚がわかったことで、今後の接し方も変わってくると思います。
サウナに行く人は女性にモテる人が多い
Saunner BOOK(サウナー・ブック)
言いなりになるかも?
ただ冷静に思った点として、命令されたことを無心でできてしまうということは、仕事上だと必ずしも良い面では無い点です。
特にプログラマーは「怠惰であれ」という格言があり、言われたことをやるのが面倒だと思ってる人ほど効率化し、より会社にとって成果を出せる人と言われています。
この感覚の世界にいると言われた通りに人生を送るのが楽だし気持ちの良いことで、能動的な人生ではなくなってしまうかもしれないなと感じました。
あらゆる悩みは身体感覚を感じれば解決できる
とはいえこの経験を経て、「あらゆる悩みは身体感覚を感じれば解決できる」はあながち誇張した表現ではないんじゃないかと感じます。うさんくさい本のタイトルみたいですが。
『言ってはいけない 残酷すぎる真実』では、結局遺伝が全てで努力の影響は少ないよってことを書いています。
これって人は自分が自然にできる行動をして、努力しないとできない行動は長続きしないって意味だと思います。
で、どうすれば自分にとって良いことが自然にできるかといえば、今回の経験からいくと「身体感覚に敏感になること」なんじゃないかなーと感じました。
じゃあどうすれば身体感覚に敏感になるの?ってところなんですが、サウナやマインドフルネス瞑想、ストレッチ、システマ・ブリージングなどに注目しています。
少なくとも今回の経験で自分の中で大きく前進できたので、再びこの感覚に戻れるよう色々試行錯誤していきます。